桑名正博さんの周りはイイ女だらけだった【ロフト創業者が見たライブハウス50年】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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出典元:日刊ゲンダイDIGITAL

【ロフト創業者が見たライブハウス50年】#34

 2012年10月26日だった。いくら何でも59歳は早過ぎる。大阪に戻って「ゲタバキの音楽をやりたい」と言っていたね。西荻窪(1973年オープン)、荻窪(74年)、下北沢(75年)のロフトで何度もライブをやった桑名正博は、後年「今のオレの原点である弾き語りがロフトにあった」と言っていた。虚飾や無駄をはぶき、心にズバッと突き刺さる桑名節をもっと聴きたかった。

 桑名さんは1971年に「ファニー・カンパニー」というバンドを結成し、翌年に「スウィートホーム大阪」でメジャーデビュー。「東のキャロル・西のファニカン」と言われた時期もあった。

 ファニカンは2年ほどで解散し、それからギター一本担いで毎月、大阪から東京に出稼ぎにやってきては、ロフトのステージに立ってくれた。 

 まぁ~モテモテだったね、アイツは。周りはイイ女だらけ。あの頃、女にモテたかったらロッカーになればいい――なんて風潮があったけど、桑名さんは別格だった。とにかく女にモテた。

 何度か一緒に飲んだこともある。若くてスタイルが良くてカッコが良くてセンスが良くて人柄も良かった。東京で泊まるところに困ったことなんて一度もなかったはずだ。

 桑名さんは77年に松本隆・作詞―筒美京平・作曲「哀愁トゥナイト」のヒットで知名度がアップした。シンガー・ソングライターが「他人の作った曲をもらってヒットさせる」ことを否定的に捉える人たちもいた。

 しかし、ライブハウスのステージに立ってくれるミュージシャンを支える側としては「シンデレラボーイの誕生!」とストレートに祝福したものである。思い出したくもないエピソードが……。

 76年にオープンした新宿ロフトでライブが行われた。店内は超満員。プロダクションも気合十分だった。ところが途中で2度も電源が落ちてしまった。もちろん大トラブル。桑名さんはアカペラで見事に歌い切ってくれたが、プロダクションの社員は怒り心頭である。「予定調和なし。これがライブハウスの魅力。彼のアカペラは素晴らしかった。新しい魅力を発見できた」と伝えた。

 社員の胸には響かなかった。その時以来、桑名さんがロフトのステージに立つことはなかった。

 ライブハウスはミュージシャンを愛し、何とかして売れるように後押しする。しかし、メジャーになるということは「サヨナラ」を意味する。

「平野さん、もうロフトには出演するなって事務所の連中が言うんだよねぇ~。悪いなぁ~」

 彼の人懐っこい笑顔が今でも思い出される。

(平野悠/「ロフト」創業者)

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