出典元:現代ビジネス
―著書『私は真実が知りたい』を読んでいると、財務省近畿財務局による公文書改ざんの件で自死した赤木俊夫さんの遺書をスクープした相澤さんと、遺書を提供した側の妻・雅子さんの信頼関係が築かれるまでに、かなり紆余曲折があったことが伝わってきます。
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雅子さんと最初に会ったのは、'18年の11月27日です。彼女はその日の未明、深夜0時台に私へメールを送ってきました。
翌朝7時台にそのメールに気づくと、「赤木雅子です」と書いてある。すぐに「あの亡くなられた近畿財務局の人の奥様だ」とわかり、ものすごく驚きました。まさか、なかなか取材できない当事者から直接メールが来るなんて、まったく想定していませんでしたから。
それと同時に、やっぱり記者としての浅ましさが出て、「やった! これはチャンスだ、会える!」と思いました。その日のうちにお会いして挨拶したら、雅子さんはいきなり、「これ見たいでしょ」と言って、俊夫さんが遺した手記を取り出したんです。
私自身、急展開に戸惑いながらも、ぜひその手記を手に入れたい。その一心で、「コピーもらってもいいですか? 写真撮ってもいいですか? メモを取ってもいいですか?」と聞いたら全部ダメ。だから、こっそり録音しながら目の前で手記を読み上げたんです。
―そもそも、なぜ雅子さんは相澤さんにメールをしようと思ったんでしょうか。
私が神戸で講演している動画をたまたまYouTubeで観たそうなんです。その講演の最後、私は赤木俊夫さんの話をしました。
当時、彼女はすごく落ち込んでいて、自信をなくしていた。「もう世の中の人は夫の死に関心がない、私が夫の手記を公表したとしても誰も関心を持ってくれない」と思っていたんです。
でも、ここで明らかに俊夫さんに関心を持って喋っている人間がいると。それで、私に連絡しようと思ったそうなんです。
結局、初めてお会いした時は手記を預けてくれませんでした。最後、去り際に「遺書のことは出さないでください、これを出されたら私は死にます」と言って帰って行かれた。
私は、その言葉は嘘じゃないと思ったんです。これは彼女の気持ちが変わるのを待つしかない。変に説得したり、お願いしたりするのは禁物だと思って、とにかく待とうと決めたんです。