貴景勝、大けがでも「大丈夫っすよ」休むという逃げ方はしなかった…担当記者が見た大関陥落と復帰(スポーツ報知)

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出典元:昨年夏場所、貴景勝は8日目に再出場したものの碧山(右)に敗れ再び休場した

「武士道精神」。大相撲の貴景勝(23)=千賀ノ浦=が2019年春場所後、大関昇進の口上にこめた言葉だ。勝っておごらず、負けて腐らず。たとえ苦しくても、言葉には出さない。何があっても言い訳はしない。そして人に感謝し、情に厚い。一人の力士として、自分の生きざまを示す。そう誓うような言葉だった。

 大相撲担当になり、半年が過ぎた昨年夏場所。その生きざまを垣間見た。4日目に右膝じん帯を損傷する大けがを負った。取組後の支度部屋で、患部を凍ったペットボトルでアイシング。ただ報道陣の前では「大丈夫っすよ。痛めてない」とだけ答えた。関係者によれば、けがの状態は医師によっては手術を勧める人もいるほど。痛くないはずがない。それでも目の前の当時22歳の新大関は「痛めてない」と繰り返した。

 5日目から途中休場した。しかし8日目から再出場。それを知った時の衝撃は忘れられない。正直、「なんで?」と思った。夏場所を休場しても名古屋場所はカド番。治療に専念して名古屋で勝ち越せば、大関の座は守ることができるのに…。そう思わずにはいられなかった。だが、再出場し敗れた8日目の取組後。貴景勝が語ったその言葉に、自分の考えの甘さを思い知らされた。

 「休む勇気と言うけど、休むのは簡単。今までそういう逃げ方はしてこなかった。自分にとって嫌な経験は、自分を強くしてくれる。何年後かに、必ず成長させてくれると思う」

 結果、9日目から再休場した。右膝は、まだ戦える状態ではなかった。再出場して悪化するリスクもあったはず。無謀と言われても仕方なかった。ただ貴景勝は、こう続けた。「自分の相撲人生として、どういう相撲人生にしたいか。その考えをもって、やるだけ」。大関とは角界の顔。その覚悟が、にじみ出ていた。

 昨年の夏、名古屋と、貴景勝の一挙手一投足を追った。2場所分、4冊の取材ノート。そこに後ろ向きな言葉やけがに対する言い訳などは、一切なかった。

 12勝を挙げ、1場所での大関復帰を決めた秋場所千秋楽。優勝決定戦で、またも左大胸筋肉離れの大けがを負った。取組後、激痛を感じていることは、必死に息を整えようとする様子からすぐに察した。しかしその時も貴景勝は、報道陣の前で「まぁ、大丈夫っすよ」。確かにやせ我慢だったかもしれない。だがそれが、貴景勝が貫く相撲道。自分の決めた道で、夢の横綱までたどり着く。それこそが、生きざまなのだと思う。(大谷 翔太)

 ◆貴景勝の大関陥落と復帰 2019年の夏場所4日目、御嶽海(出羽海)に寄り切りで勝った際に右膝内側側副じん帯を損傷。5日目からの途中休場を経て8日目に再出場したが敗れ、再休場した。カド番で迎えた7月の名古屋場所もけがの影響で全休。2場所連続休場で、現行制度(69年名古屋場所以降)では最短となる在位2場所で大関から陥落した。10勝以上で大関に復帰できる秋場所では、優勝決定戦で御嶽海に敗れたものの12勝を挙げて優勝次点。1場所で大関に復帰した。

 ◆貴景勝 光信(たかけいしょう・みつのぶ)本名・佐藤貴信。1996年8月5日、兵庫・芦屋市生まれ。23歳。2014年秋場所で旧貴乃花部屋から初土俵。16年春場所後に新十両に昇進し、17年初場所で新入幕。千賀ノ浦部屋に移籍後、18年九州場所で初優勝を果たすと19年春場所後に大関昇進した。しこ名は前師匠が好きな戦国武将の上杉景勝が由来。175センチ、169キロ。得意は突き、押し。

 ◆大谷 翔太(おおたに・しょうた)1992年4月6日、福岡県生まれ。28歳。立教大から2018年入社。同年11月から大相撲担当。

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