沖田浩之さん、今も馬淵監督イズム「耐えて勝つ」明徳義塾悲願の初V 甲子園で輝いた夏…あれから18年(スポーツ報知)

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◆02年3回戦 明徳義塾7―6常総学院(8月18日・甲子園)

 明徳義塾(高知)が悲願の初優勝を果たした2002年。最も苦しんだ常総学院(茨城)との3回戦で、8回裏に起死回生の同点弾を放ったのが当時2年生の沖田浩之さん(34)だ。161センチと小柄でも、ガッツあふれるプレーで甲子園のヒーローに。現在は都内の焼き肉店の店長として、恩師である馬淵史郎監督(64)の“3つの教え”を胸に、新型コロナウイルスという“逆風”に立ち向かっている。(取材・構成=浜木 俊介)

 高校野球の名門校のユニホームが、壁一面に掲げられている。その数、約30着。東京・中央区の「焼肉ここから 茅場町店」が、沖田さんの“城”だ。

 亜大卒業後は軟式に転向し、企業チームで活躍。その後、飲食業を展開する母校の先輩と出会い、18年12月から店長を務めている。「ユニホームをいっぱい飾りたかったんです。思い通りの店になりつつあったので『ここから』の名前をもっと広げようと…」。2年目を迎えて夢を膨らませていた時、新型コロナウイルスに襲われた。

 4月13日に臨時休業。同15日から錦糸町本店と大門浜松町店を拠点に始めたデリバリーサービスに携わるようになった。5月8日に時間を短縮して再び営業を再開したが、現在も自分の店を離れ、自家用車を使って錦糸町店から焼き肉弁当や生肉を配達する業務をサポートしている。

 02年夏の甲子園。沖田さんは2年生で2番打者を務めていた。ハイライトは常総学院との3回戦。4―6で迎えた8回裏2死一塁の場面で、同点アーチを放った。体格に恵まれないため、長さ82センチという極端に短いバットを使っていた。「普通は83~85センチ。これより短いものは、見たことがありませんでした。グリップを余して握っていたので、実際は80センチほどだと思います」

 長打を期待されていたわけではなく、打った感触も良くはなかった。「先っぽに当たってしまった。ライトフライかと…」。ポール際に飛び込んだ打球を見て驚いた。「まぐれでしかありません。もう一度、同じスピードで同じコースに投げてもらっても無理です(笑い)」。続く3番・森岡良介(現ヤクルトコーチ)の連続アーチで勝ち越し、頂点へ駆け上がった。

 名将・馬淵監督の初優勝。物議を醸した星稜・松井秀喜(現ヤンキースGM特別アドバイザー)への5打席連続敬遠から、10年が過ぎていた。「校歌を歌う時に、監督さんが泣いているのが見えて…。何があっても泣く人じゃないと思っていましたから」。今も心にとどめる恩師の言葉が3つある。

 「耐えて勝つ」―繰り返し口にした最大の教え。

 「棚からぼた餅」―準備したうえで棚に近づく努力をする者しか餅は拾えない。

 「苦しい時に土台となって支えてやれる人間になれ」―逃げるのは簡単。周りを支えられる者が人として大きくなれる。

 「まさに今は、耐えて勝つという状況です。その日、その時に、どうしたらお客さんに喜んでもらえるのか。ここで適当なことをしていたら、このまま離れていってしまいます」。夏の甲子園への道が閉ざされた球児にも「苦しい時に土台となって…」の言葉を贈った。

 馬淵監督は、明治神宮大会などで上京した際、必ず店に足を運んでくれるという。教え子は「忍耐」「準備」「責任感」という学びを実践しつつ、見えない敵と戦う日々を送っている。(浜木 俊介)

 ◆02年夏の甲子園大会 明徳義塾をはじめ、川之江(愛媛)、鳴門工(徳島)、尽誠学園(香川)と、四国の4校が史上初めてそろって8強に進んだ。常総学院との激闘を制した明徳義塾は準々決勝以降、広陵(7―2)、川之江(10―1)、智弁和歌山(7―2)とライバルを圧倒。馬淵監督は90年の監督就任以来、8度目の夏の甲子園で念願の初優勝を遂げた。

 ◆沖田 浩之(おきた・ひろゆき)1985年7月8日、兵庫県生まれ。34歳。明徳義塾では、外野手として2002年春から4季連続で甲子園に出場。3年時は主将を務め、アジアAAA野球選手権に日本代表として出場。亜大に進み、06年明治神宮大会を優勝。卒業後は痛めていた左肘を考慮して軟式に転向し、佐川印刷、佐川急便関西で全国大会に出場。現在は「焼肉ここから 茅場町店」の店長を務める傍ら、品川区軟式野球連盟に所属するクーニンズでプレー。左投左打。家族は夫人と1女。

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