猪木氏が爆弾発言「大勝負出る」“キックの荒鷲”藤原氏とレジェンド格闘家対談〈後編〉(スポーツ報知)

出典元:喜寿の「ダァー」ポーズを取るアントニオ猪木氏(右)と藤原敏男氏(カメラ・宮崎 亮太)

新日本プロレス創始者で元参院議員のアントニオ猪木氏が20日に77歳の喜寿を迎えた。同日に都内のホテルで「アントニオ猪木の喜寿を祝う会」が開催され、その席で「日本プロレス殿堂会」の発足が発表された。スポーツ報知では猪木氏の喜寿を記念して、外国人として史上初めてムエタイの最高峰・ラジャダムナン王者となった“キックの荒鷲(わし)”藤原敏男氏(71)とのレジェンド格闘家対談を先週に引き続き掲載。後編は、2人から若者へ、今のプロレスラーへのメッセージをお届けする。(構成=福留 崇広)

 猪木「今、いろんな人から、ありがたいことなんですけど“長生きしてください”ってよく言われるんです。だけど、オレは頑張って長生きしたくないんだよ、もう早く迎えに来てくれよって(笑い)。じいさんが77歳でブラジルに行く時に死んでいるんで(※1)、77歳が一つの目標だった」

 藤原「僕は今年3月で72歳になります」

 猪木「100歳まで頑張ってくださいって言われるんだけど、そんなの全く考えたことない。ただ100まで生きて何になるんだよって思うんですね。そこには健康で元気でないといけないし、何か夢というか生きる糧がないといけないと思うんです。今、(ある計画で)大勝負に出ていますんで楽しみにしていてください」

 藤原「そうですね。僕も何か猪木さんのように後世に残すような仕事をやりたいと思っています。自分は格闘技でやることやってきたんで、社会に貢献できるような猪木さんみたいにお役に立てればって、そういう気持ちしかないです」

 猪木「正直言えば、今のオレはパラオ(※2)の海で浮いているのが一番いい。この間も女房(※3)の散骨で知り合いと行って、みんな感動してくれて。今度一度、パラオへ行きましょう。本当にいいですよ」

 藤原「パラオが素晴らしい所だって話は聞いたことがあります。空気もきれいで海もきれいだしって。昔、新日本プロレスの合宿をテレビで見ていい所だなって思ってました」

 猪木「これからは、とにかく、いい仲間といい時間を過ごしましょうよ。その中で自分の役割があるなら、いつでも出て行くぞっていう形でね。それが一つの元気を持続することになると思うんですよ」

 藤原「今の若い人はいろんな夢と目標を持ってやって、迷うことなく思った考え方をドンドン突き進んでいってもらえればいい。いつ、明日、何が起きるか分からないのが人生ですから。『人生百年』って言いますけど、明日のことは一寸先は闇なんで、今思ったことは迷うことなく完璧に夢に向かって進んでほしいですね」

 猪木「若い人には“一寸先はハプニング”って言ってください(笑い)。同時に今、高齢化社会になって、同世代にも送らないといけないメッセージがある。だから、若者はお前らで考えろよってね。その中で今のプロレスラーに何か言うことがあるなら、柔道、空手道のようにプロレスにもプロレス道というものがあるんですね。『道』という詩(※4)があるんですけど、『行けばわかるよ』って行かなきゃ分からないことがあるので、道を探してもらいたいとは思っています」

 藤原「自分たちが思うことに進んでほしいですね。己の行く道は自分で切り開けばいい」

 ※1 猪木が14歳の時に一家で移住のため、ブラジルに向かう船中で、母方の祖父・相良寿郎さんが急死。
 ※2 ムハマド・アリと戦った英雄・猪木に対して、ミクロネシアが1980年に無人島を「イノキアイランド」と命名。猪木が名誉オーナーに。
 ※3 昨年8月27日に元専属カメラマンで公私ともに支えてきた田鶴子夫人が急逝。
 ※4 98年4月4日に東京ドームで引退試合(ドン・フライに勝利)を終えて朗読した。「この道を行けばどうなるものか(中略)迷わず行けよ 行けば分かるさ」

 ◆アントニオ猪木 本名・猪木寛至(いのき・かんじ)。1943年2月20日、横浜市生まれ。77歳。家族で移住していたブラジルで力道山にスカウトされ、60年に帰国。同年9月30日、日本プロレスでデビュー(大木金太郎に敗れる)。72年、新日本プロレス旗揚げ。76年6月26日に日本武道館でボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリと格闘技世界一決定戦(引き分け)。IWGPを創設し初代王者に。89年、スポーツ平和党を結党し、参院選で初当選(1期6年)。95年、北朝鮮で平和祝典を開催。98年に引退。2010年、日本人で初めて米WWE殿堂入り。13年の参院選で日本維新の会から出馬し当選。1期6年務めて引退した。

 ◆藤原 敏男(ふじわら・としお)1948年3月3日、岩手・宮古市生まれ。71歳。69年10月1日、東京・後楽園ホールでキックボクシングデビュー。71年11月5日、全日本ライト級初代王者決定トーナメントで優勝。73年3月29日に元WBA世界フェザー級王者・西城正三とキックボクシングルールで対戦し、3回TKO勝ち。78年3月8日、モンサワン・ルークチェンマイ(タイ)を破り、外国人初のムエタイ最高峰ラジャダムナン王者となる。79年10月30日、新格闘術世界ライト級王者となり、梶原一輝氏が総指揮したドキュメンタリー映画「四角いジャングル」シリーズ3部作(78~80年)に猪木らと出演。83年2月に引退。98年に藤原スポーツジムをオープンし後進を育てた。

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