照屋寛徳に次いで新里米吉も…沖縄「革新」への懸念【佐高信「追悼譜」】(日刊ゲンダイDIGITAL)

出典元:日刊ゲンダイDIGITAL

【佐高信「追悼譜」】

 新里が急死して、玉城デニーの沖縄県知事選挙の選対本部長が交代することになった。

【写真】沖縄復帰50周年の節目に玉城デニー知事が発表した「新たな建議書」の不完全さ

 前沖縄県議会議長で社民党県連委員長でもあった新里は、デニーの前原高校の先輩でもあり、本部長にうってつけだった。

 後期高齢者になってもビーチバレーをやってみたいと言っていた新里を偲んで、デニーは「故郷への愛情やバレーボールと沖縄への想いを、時に熱く優しく諭すかのように話して下さった」と追悼している。

 逆に同じ前原高校の新里の先輩が歌手の海勢頭豊で、新里の後援会長だった。新里は海勢頭の代表曲「月桃」を愛し、その歌碑建立の資金集めの先頭に立った。

 また、沖縄が発祥の地である空手の保存、継承、発展にも努めたのである。

 まとめ役としてすわりのよかった新里に私が初めて会ったのは、今年の春に亡くなった沖縄選出の社民党代議士、照屋寛徳の選挙でである。1945年夏にサイパン島の米軍捕虜収容所で生まれた照屋は私と同い年で、私の選挙応援は沖縄で照屋のための演説をすることから始まった。

 照屋に続いて新里と、革新の枠をこえて愛される沖縄の政治家が亡くなったことになる。

「沖縄に雪は降らないが飛行機は降ってくる」

 脳梗塞を患って少し不自由な語り口の照屋には人柄がにじみ出るユーモアがあった。

 『標的の村』をはじめ、沖縄のドキュメンタリー映画を撮っている三上智恵と対談した照屋は冒頭こう切り出した。

 「みなさんこんにちは。社民党は反”帝国”主義者の集まりですが、今日は”定刻”通り進めていきたいと思います。1時限目の授業は、照屋”寛徳”が三上智恵”監督にいろいろとテーマに沿って話を聞いてまいります」

 これには父親と娘ほどに年の離れた三上も笑って、次のように応じざるをえなかった。

「いっぱい用意してきたんですね」

 8年前のこの対談は次にやはり同い年の早野透と私の対談に続いているが、三上との対談の最後にまた照屋がこんな笑いをとっている。

「今度映画を作るときは、あなたが監督で僕を助監督に。僕もしかしカントクのキャリアは68年間ですから長いよ」

 照屋には『憲法を求める沖縄 捨てる日本』(ゆい出版)という著書もある。

 そこで照屋は私を”心友”と呼んでくれ、拙著『反・憲法改正論』(角川新書)を名著として挙げている。いわゆる革新派だけが護憲を主張してきたのではないとして、私は宮澤喜一や後藤田正晴の護憲論を取り上げ、「”専売特許”意識が邪魔をして、保守の護憲と手をつなぐことなど左派は考えもしなかった」と批判したのだが、照屋は「ふり返ってみて、まったくその通りだと思う」と同意してくれている。この照屋の後を追うように新里が亡くなって沖縄の革新がどうなるか、心配である。(文中敬称略)

(佐高信/評論家)

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