メダル第1号は悔しい銀 努力の25歳・渡名喜(産経新聞)

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出典元:産経新聞

24日に行われた東京五輪柔道女子48キロ級決勝で敗れた渡名喜風南(パーク24)は、畳から下りるとその場で泣き崩れた。「自分の弱さが出てしまった」。日本勢の五輪通算500個目のメダルは、悔やまれる銀メダルになった。

25歳。努力ではい上がった柔道家だ。

修徳高(東京)時代に指導した宮田(旧姓・北田)佳世さんは「目立った存在ではなかった」と明かす。黙々と稽古を重ねる姿勢は変わらない。当時も柔道ノートに組み手などの課題を記し、翌日の練習で克服に取り組んでいたという。

帝京大に進学後も、同学年で2016年リオデジャネイロ五輪銅メダルの近藤亜美に隠れた存在だった。足技や寝技を磨き、17年に初出場で世界選手権を制して才能が開花した。大学卒業後の18年からはパーク24で、女子の園田隆二監督と技術を高めた。稽古に加え、ウエートトレーニングにも励んだ。

立ちはだかったのが当時17歳のビロディドだった。2連覇を狙った18年の世界選手権決勝で敗退。東京五輪を見据え、「絶対に倒さないといけない相手」と狙いを定めた。

渡名喜は自らを追い込んだ。19年1月、単身でモンゴルへ武者修行に出向いた。氷点下30度。言葉も通じない異国の地で、山道を2時間近くかけて走るような原始的なメニューも敢行した。同級元世界女王のムンフバットや男子選手と乱取りを重ね、不安定な体勢で重りを持ったトレーニングにも取り組んだ。帰国後は嫌いで口にしなかった牛肉も食べるようになった。

コロナ禍での1年延期も無駄にはしなかった。「モチベーションは維持できていた」。出稽古に行けなかった自粛期間に徹底して体幹を鍛えた。成果は出た。園田監督が稽古で負荷をかけても、押し返せる地力がついた。

19年に日本武道館で開催された世界選手権でまたも敗れ、4戦全敗だったビロディドを、今年1月の国際大会でついに破った。日本女子の増地克之監督は「これまで耐えきれずに投げられていたのが、しっかりと受けきれた」と進化をたたえた。五輪本番の準決勝でも延長の末に天敵を撃破。実力が本物だと証明した。

未曽有のコロナ禍で会場は無観客だった。前日までに届いたメールなどの応援メッセージに背中を押された。「すごい大変な中で、たくさんの人が最後までサポートしてくれた」。感謝の思いを胸に戦った五輪でもあった。

(田中充)

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