最強ホークスで謎多きヘッドコーチの正体 選手実績ほぼゼロ、IT球団化の立役者(夕刊フジ)

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出典元:夕刊フジ

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 11月25日の日本シリーズ第4戦。1年前と同じく巨人に4連勝で日本一を決めた瞬間、ソフトバンクのベンチには工藤公康監督(57)と肘タッチで喜びを分かち合う、森浩之ヘッドコーチ(55)の姿があった。

【写真】謎多きヘッドコーチ・森浩之

 森さんはPL学園高で1982年のセンバツ優勝捕手となり、東洋大を経て当時の南海ホークスに入団。実働4年間で28試合出場、4安打と選手としてはほとんど実績を残せなかった。引退後は球団に残ってブルペン捕手、球団スタッフなどを歴任。2009年オフに私がチーム編成の責任者になったときには、ファームのブルペン担当コーチ補佐だった。

 11年からの3軍制導入に伴い、取り急ぎ3軍のバッテリーコーチをお願いした。人格円満が売りという評判通り、ムードメーカーとして非常にありがたい存在だったが、そこにとどまらない魅力を感じた。

 報告書や本人との会話、周囲の声などから伝わってくるのは、自身に求められる役割を理解し、実践する適応力の高さだった。

 捕手出身者は相対的に野球の分析力に優れていることで知られる。加えて森さんには、伝える相手がどう考えるか、今風に言えば相手に寄り添うコミュニケーション力がある。私はそこに魅かれて、13年からスコアラーをお願いした。

 当時ホークスが、育成改革と同時に推進していたのが、IT球団化である。ファームでいえば、選手ごとにカルテをつくり、成長も停滞もすべてデータベースに蓄積、分析することで、成長予測と成長に最適な指導方法を類型化、標準化することが目標だった。

 そして1軍は戦術・作戦のIT化である。最新の統計・動作解析を用いることで、より鋭い傾向と対策に落とし込めないか。これまでのデータ戦略からもう一歩踏み込むべく、球団内にIT戦略部を創設した。データ解析の専門家をそろえたが、既存のデータ分析部隊であるスコアラーやビデオ班が、胸襟を開いて彼らを受け入れてくれないであろうことは、ある程度予測ができていた。

 1軍はフロントの関与をとりわけ警戒する世界だ。スコアラーやトレーナーの管理下にある領分に、背広組(球団フロント)が一歩でも足を踏み入れようものなら、たちまち会話が止まりシンとなる。門外漢はお呼びでない聖域だった。そこで森さんに、チーフスコアラーをお願いしたのだ。

 プロ野球経験のないデータの専門家と、プロ野球出身の既存スコアラー陣の間に入るのが、森さんの役割だった。この橋渡しは端から見ても神経を使う作業で、森さんはキャンプ以降、見るたびにやつれていった。開幕を迎えるころにはげっそり、体重が10キロ以上も減っていたという。それでも森さんが両者の言語を粘り強く翻訳することで垣根が下がり、シーズン中盤には闊達な議論が交わされるまでになった。

 私は14年限りで球団を離れたが、森さんは17年から1軍作戦担当コーチ、昨季からはヘッドコーチとして工藤ホークスの4年連続日本一を支えた。来季からは育成の要である3軍監督に就任。私と工藤監督は入れ替わりで、退団後の人事には関わっていないが、森さんが実務者・指導者としての高い適性を見抜かれ、現在に至るまで常勝ホークスに不可欠な人材となっていることは、私にとってちょっぴり誇りたい話である。

 ■小林至(こばやし・いたる) 桜美林大学教授、博士(スポーツ科学)。1968年1月30日生まれ。東大から91年ドラフト8位で千葉ロッテに指名され、史上3人目の東大卒プロ野球選手となる。退団後に7年間アメリカに在住し、その間、コロンビア大学で経営学修士号(MBA)を取得。2005年から14年までソフトバンク球団取締役を兼任。

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