中森明菜、賞レースよりレコード・セールスに全力注ぐ 難題抱えた「1/2の神話」(夕刊フジ)

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出典元:夕刊フジ

【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

 1982年の「第24回輝く! 日本レコード大賞」(TBS系)の新人賞。

【写真】頭を丸めた明菜「歌姫2」のジャケット

 候補者5枠はシブがき隊「100%…SOかもね!」、石川秀美「ゆ・れ・て湘南」、早見優「アンサーソングは哀愁」、堀ちえみ「待ちぼうけ」、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」が選ばれ、中森明菜は小泉今日子とともに入賞できなかった(最優秀新人賞はシブがき隊)。

 所属レコード会社のワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)邦楽宣伝課で明菜の宣伝担当だった富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は「『レコード大賞』では悔しい思いをしたことは確かです。ただ周囲がいうほどの大きなショックではなかった。確かに新人賞レースでは6、7番手でしたが強がりではありません。明菜の実績は誰もが分かっていたので『無理に取りにいく必要もない』という思いもあったのです。話したわけではありませんが、候補者に入れなかったことで明菜自身も気にする雰囲気はありませんでしたし、そもそも、このときは『セカンド・ラブ』が絶好調だったので、逆に意気込みのほうが大きかったように思いますね」と振り返る。

 一方、「もちろんライバルは多かったのですが、半年が過ぎたらデビュー当時に感じていたような焦りはなかったですね。とにかく明菜の場合はいい作品を作り続けることだけに専念すればいいと思っていましたから。賞レースで結果を出すことも重要ですが、明菜はレコードが売れたら宣伝費もアップしたので、われわれはやはりレコード・セールスに全力を注いでいましたね」。

 「レコード大賞」の新人賞は逃したが、同じTBS系の「ザ・ベストテン」で「セカンド・ラブ」は12月16日放送で1位になり、「82年は明菜で終わり、83年は明菜で始まる結果になりました。そういった意味では新人ながら明菜は82年を代表する歌手の一人になったと自負しています。もちろん誰も想像していなかった…快挙だったと思います」(富岡氏)。

 ちなみに、この年の「日本レコード大賞」は視聴率で前年を4ポイント下回る31・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。

 そんな中、もめていたのが「セカンド・ラブ」に続くシングルだ。

 ただ明菜の路線はワーナーと所属事務所の間でもほぼ決まっていた。富岡はいう。

 「言うまでもなく、明菜の場合、歌唱力はもちろん表現力も備わっていたので、あとは路線。要は、方向性さえ間違わなければ絶対に息の長い歌手になると思っていました。それは上司も同じ考えで自信もありました。いわゆるツッパリ路線とバラード路線、その一方に偏ってしまったら単なる企画物になってしまったでしょう」

 そのような考えは、ワーナーで明菜の制作宣伝を統括していた寺林晁氏(現エイベックス・レーベル事業本部アドバイザー)にもあった。寺林氏は「コンセプトを持った作品作り」にこだわってきた。それだけに「少女A」に続く「セカンド・ラブ」が見事にハマったことで今後の路線に確信を持った。寺林氏は振り返る。

 「当時、売野雅勇さんは新人の作詞家でしたが、センスもよく明菜に合った詞を書いてくるんですよ。それは来生えつこさんと来生たかおさんのコンビも同じだったので、このスタイルで、それぞれが“3部作”のようなものが、それこそ交互にできないかと思ったのです。2つのパターンの作品を交互に出せれば、明菜のボーカル力を一気にクローズ・アップできるはずだと」

 そして出来上がってきたのが、売野が作詞した『1/2の神話』だった。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、55歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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