渡哲也さん・仁義の男の美学 返しきれない恩…数々のスクープを頂戴した(夕刊フジ)

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出典元:夕刊フジ

【渡哲也さん 仁義の男の美学】

 渡哲也さんからは貴重な情報で何度かスクープさせてもらった。1985年12月29日、ハワイ・ワイキキ島にある石原裕次郎さんの6億円の別荘を訪ねた。渡さんから聞いていた「社長は訪ねてきた知人は断れない性格」との言葉を信じての突撃。成功すればスポーツ紙の86年元日号芸能面「裕次郎豪邸、初公開」が用意されていた。

 裕次郎さん自ら「おっ、よく来たね、さあ入って、入って」と迎えてくれ、応接間には渡さんと、まき子夫人がいらした。私はカゼで昨夜高熱を出して治療を受けたがまだ体がふらついた。渡さんの「大丈夫? 顔が赤いよ」との言葉を、心配させまいと「豪邸に興奮しています」とかわしてインタビューした。

 海のパノラマを背景にツーショットを撮ろうと試みると、裕次郎さんは「海に絞りを合わせたら顔は露出不足で真っ黒だよ」とアドバイス。あうんの呼吸で渡さんが姿見を持ち出して「これをレフにして人物にあてよう」と照明係に変身。「プールや庭でも撮りましょう」とも。本当にお世話になりました。

 裕次郎さん最後のセーリングのスクープも渡さん。亡くなる前年の86年10月3日の夜明け、私はカメラマンと葉山のヨットハーバーが見下ろせる場所で張り込んだ。渡さんの「社長が湘南沖にセーリングに出る」が情報源だ。

 40フィートのクルーザー「湘南魔火矢(マフィア)」(船主は裕次郎さんの友人)が三浦半島方面にゆっくり進み出したが、裕次郎さんの姿はない。不安が募った私は移動電話で渡さん宅の番号を回した。「こんなに早く、どうしました?」「船は動きましたが社長の姿はありません」

 すると渡さんは笑って「大丈夫、諸磯で社長は乗船します」と教えてくれた。先回りして諸磯の桟橋が見える場所で待つこと30分。やがて裕次郎さんの車が到着し、湘南魔火矢に乗り込むと沖へと向かった。

 私はチャーターしたモーターボートで追いつき、缶ビールを飲む裕次郎艇の横にピッタリ並んだ。最後の裕次郎さんの単独インタビューだった。お礼に渡さん好物の千葉・八街の落花生を贈ると「ありがとう、うまかったよ。さあ、青山に焼肉を食べに行こう」とまた誘われた。(中野信行)

 ■渡哲也(わたり・てつや) 1941年12月28日生まれ、兵庫県出身。青山学院大経済学部卒後、64年に日活入社。翌65年に「あばれ騎士道」でデビュー。71年、石原プロに入社。76~79年は日本テレビ系「大都会」、79~84年はテレビ朝日系「西部警察」に主演。2005年に紫綬褒章受章、13年に旭日小綬章受章。8月10日、肺炎のため死去。78歳。

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