豊臣家墓所の淀殿造立の五輪塔、実はねね? 高野山大課長が新説(産経新聞)

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出典元:産経新聞

高野山奥之院(和歌山県高野町)の「豊臣家墓所」にある石塔11基中、豊臣秀吉の側室・淀殿(よどどの)が造立したとされる五輪塔(供養塔)は、秀吉の正室・ねねが造立した可能性があるとする新説を、高野山大学総合学術機構の木下浩良課長(60)が講演で明らかにした。石塔に詳しい木下課長が現地調査した結果で、近く新説の内容を論文にまとめ、発表する予定。

 豊臣家墓所は、名だたる戦国武将の墓所などが並ぶ奥之院の参道付近にあり、中でも特に面積が広い。秀吉の命日にあたる毎年8月18日には「豊太閤命日忌」の法会も営まれている。

 木下課長は40年以上、現地で石塔などを研究。NHKの番組「ブラタモリ」で高野山の案内役を務めたこともある。

 木下課長は今月6日、橋本市内で開かれた講座で、豊臣家墓所の石塔11基中、無銘などで不明の2基を除く9基について調査結果を報告し、新説も披露した。

 まずは江戸時代の古絵図にも「太閤秀吉公」として描かれた五輪塔について、秀吉の養女・豪姫が造立したと説明した。銘文には豪姫を意味する「樹正院殿」と刻まれていたが、その前に「秀吉公」とあり、先人が秀吉の造立と誤認したと考えられるとした。

 生前に仏事をして死後の冥福を祈る「逆修(ぎゃくしゅ)」の文字もあり、木下課長は「いつ死ぬか分からない時代なので、自分で自分の葬式を行っていた」と時代背景を説明した。

 さらに、格式の高い家の女性を意味する銘文が刻まれていたため、従来は淀殿の造立と考えられていた別の五輪塔についても説明した。

 銘文には天正17年7月3日の日付や逆修の文字があり、淀殿が秀吉の嫡男・鶴松(つるまつ)を出産した5月27日の直後にあたることに木下課長は注目。「子を産んでこれからというときに逆修するでしょうか」と従来の見方に疑問を投げかけ、「実はねねだったのではないか」と新説を披露した。

 「古文書は捏造(ねつぞう)されるケースもあるが、古い石塔の銘文は正直」と語る木下課長。講演後、報道関係者の取材に応じ、「最近の研究で、ねねと淀殿は仲が良かったという話もある。秀吉の後継ぎができ、ホッとして逆修したのでは」と推察していた。

 一方、講座を開催した、地元有志らでつくる「高野七口再生保存会」の池田和夫会長は「豊臣家墓所に行ったこともあり、興味深い話で驚いた。ねねが造立した五輪塔だとすれば、見方も変わってくる」と話していた。

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