植松聖の裁判が「死刑にするためのセレモニー」だったと言える理由(現代ビジネス)

出典元:現代ビジネス

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映画監督・作家の森達也氏が3月19日、死刑判決直後の植松聖と面会した。2016年、入所中の知的障害者19人が殺害されたあの事件の深層とは何か? 今回は、植松に「60回くらい」面会してきた、「創」編集長・篠田博之氏へのインタビューをお届けする。

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第1回はこちら:相模原障害者殺傷事件とは何だったのか? 「普通の人」植松聖との会話
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 「宮崎事件のときも精神鑑定は大きなテーマになりました」と篠田は言った。「でも最終的には、責任能力ありとなる。それは国家意思であると同時に、もしも責任能力がないと裁判所が判断したら国民感情が許さない、との判断が働いたことも確かだと思います。そしてあの判決以降、裁判所がこれを前提というか暗黙の判例にしてしまったことも確かです」

 そう言ってから篠田は顔を上げる。ずっと視線を下に向けていた理由は、おそらく資料を読んでいたのだろう。長い付き合いだけど、Zoomで話すのは初めてだ。

 僕の今の肩書は「映画監督・作家」だ。つまり映像と活字の二足の草鞋。1998年に「A」を発表して以降、それまでの肩書だった「TVディレクター」に「映画監督」が加わった。でもその後にテレビの仕事は少しずつ減り、代わって活字の仕事が増えてきた。初めて上梓した書籍は『放送禁止歌』と『「A」撮影日誌』。そして初めての連載は、月刊誌「創」の「極私的メディア論」だ。

 つまり「創」の編集長である篠田博之との付き合いはとても長い。そして篠田と植松のパイプはとても太い。そもそも3月に滑り込みで間に合った植松への面会も、確定間近ということで(確定すれば面会できなくなる)多くのメディア関係者が順番待ちの状況だったので、篠田に依頼して植松本人から了解をとりつけることで実現した。

 ……付き合いはともかく、パイプって言いかたは何かいやだな。でも信頼関係という言葉ともちょっと違う。篠田と植松の関係は、あくまでも取材する側とされる側のスタンスだ。植松が面会でしゃべったことや送ってきた手紙はすべて、篠田は公開することを前提にしている。つまり基盤はジャーナリズムだ。ただし半端じゃない。これまで植松には何回くらい面会していますかと訊ねたら、60回くらいかな、という答えが返ってきた。その面会の様子や植松が送ってきた手書きのイラストは、ここ数年ほぼ毎月のように「創」誌面に掲載されていたし、相模原事件をテーマにしたシンポジウムなども主催者として積極的に開催している。ウィキペディアで篠田博之を検索すると、

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もともと学生運動に参加していた立場からか左翼リベラル的なスタンスで雑誌制作に携わり、獄中からの手紙を通じて犯罪者にも発言の場を与えるなど、異色の雑誌編集を続けている。北朝鮮に渡ったよど号グループの声を取り上げて来た他、連続幼女殺害事件の死刑囚・宮崎勤などに手記を発表させている。
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 と記載されている。宮崎勤だけではなく、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とは、事件が起きた1998年から関わりを続けているし、奈良小1女児殺害事件の犯人である小林薫(2013年に死刑執行)や、寝屋川市中1男女殺害事件の犯人である山田浩二などにも、篠田はずっと面会を続け、「創」誌面に彼らの手記を何度も掲載している。日本各地のオウム施設を訪ねた「A2」を撮影していたころには、取材をしている篠田と現場で何度も出くわした。

 つまり(メディアへの批評性も含めて)、僕と篠田のスタンスはかなり近い。ウィキペディアには篠田について「左翼リベラル的なスタンスで」と記述されているが、死刑制度に対して異議を唱えたり冤罪関連を取材したり死刑囚と交流したりすることは、「左翼リベラル的なスタンス」になるのだろうか。書きながらわからなくなる。確かに僕の交友関係において左翼リベラル的な人は死刑廃止を主張する場合が多いが、強硬に死刑制度は存置すべきと主張する左翼リベラルもいるし、死刑廃止を主張する右翼活動家も少なくない。決してイコールではない。まあ死刑制度は戦争と並んで国家の究極の暴力行為と考えれば、左翼リベラルが批判的になることは当然かな。つまりニアイコールではある。

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