借りた恩は返す…大スクープ生む電話番号 渡哲也さん・仁義の男の美学(夕刊フジ)

出典元:夕刊フジ

【渡哲也さん 仁義の男の美学】

 私が「勝海舟の渡哲也降板、代役松方弘樹」の一面記事を見たのは、同じ放送記者の同僚の自宅だった。2人で飲みすぎて泊めてもらった朝、自分の知らない芸能ニュースを自分が在籍する新聞社の紙面で知る…。一生一大の不覚、悪夢であった。

【写真】大河「勝海舟」で主役を務めていた渡さん

 1974年3月、NHK大河ドラマ「勝海舟」の主役交代劇は、東京・渋谷のNHK記者クラブで発表されたが、会見場には、前夜に渡さんから得た情報で記事を書いた先輩記者が先に来ていた。思いっきりバツが悪かった。

 放送記者としての失態は超恥ずかしかったが、渡-先輩記者の友情でなんとか面目は保たれた。当時はまだポケベルも携帯電話もない時代だから、外勤記者は一歩外に出ると鉄砲玉。社のデスクは「最終版降板前には必ず電話を入れろ!」と厳しかったが、私はそれを怠ったのだ。

 のちに渡さんに失態を伝えたところ「それは肝を冷やしましたね」と大笑いされ、そして「でも、あのとき先輩記者が社にいてくれて、ホントによかった」と、うれしそうに振り返った。

 そして「今度、緊急の用件ができたら家に電話してください」といって、自宅の電話番号を教えてくれた。あとで触れるが、この電話番号は大スクープを生むことになるのである。

 さて、「勝海舟」を肋膜炎で降板した渡さんは、その後、カゼをこじらせて急性肝機能不全症=のちに膠原(こうげん)病と判明=を併発して9カ月入院している。

 ドラマは10回目から主役を引き継いだ松方弘樹さんの奮闘もあって、視聴率平均24・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と好評だった。

 余談だが「勝海舟」で松方さんは共演の仁科明子(現仁科亜季子)と恋に落ち、結婚している。渡さんの「降板事件」が生んだ運命の「出会い」である。

 さて、渡さんが入院中も新曲「くちなしの花」は売れに売れ、150万枚の大ヒットとなり、退院した渡さんは大みそかのNHK「紅白歌合戦」に初めて出場することになった。(中野信行)

 ■渡哲也(わたり・てつや) 1941年12月28日生まれ、兵庫県出身。青山学院大経済学部卒後、64年に日活入社。翌65年に「あばれ騎士道」でデビュー。71年、石原プロに入社。76~79年は日本テレビ系「大都会」、79~84年はテレビ朝日系「西部警察」に主演。2005年に紫綬褒章受章、13年に旭日小綬章受章。8月10日、肺炎のため死去。78歳。

渡さんは、本当に義理堅い人だった

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