「西部警察」同行ロケで渡された茶封筒 死ぬほど重かった北海道のお土産 渡哲也さん・仁義の男の美学(夕刊フジ)

出典元:夕刊フジ

【渡哲也さん 仁義の男の美学】

 「渡哲也と舘ひろしのご両人と船で旅をしませんか?」。1984年の夏、石原プロの仲川幸夫芸能部長(当時)からのお誘いである。テレビ朝日で5年間放送されてきた「西部警察」(全236回)の最終編となる夕張ロケに同行という「おいしい」取材だった。

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 「西部警察」は石原プロがテレビ映画制作に踏み切った日本テレビ系「大都会」(全132回)に次ぐ人気作品で、黒字会社に好転させたドル箱番組である。

 有明ふ頭、午後11時30分発のカーフェリーには石原プロの撮影機材用大型トラック、警察車両、テロ組織の特殊装甲車、スタント用乗用車、大型バイクなど30台が積み込まれ、客室に俳優やスタッフ50人が乗り込んだ。苫小牧港には翌々日の早朝に着く2泊の船旅である。渡さんと「弟分」の舘は広い貴賓室でくつろいだ。

 「大都会」や「西部警察」はテレビ局から1本2000万円の制作費を得たといわれ、渡さんは8年間働き通して石原プロを救ったのだ。石原裕次郎さんを守り抜いた男は船室で「やっと西部警察の終点が見え、ホッとしました。さすがに疲れました」と安堵(あんど)の表情を見せた。船内の渡さんは小林正彦専務とロケの打ち合わせやポーカーに興じていた。

 突然、舘が私と仲川さんの部屋に入ってきて「ポーカーをやろう」と誘った。彼は「そうそう。これ、親方(渡さん)からのお土産」といって茶封筒を出した。私は「今度の台本かな?」と思って受け取った。

 ポーカーはなぜか「負けたことがない」と豪語していた舘の一人負け。やがて彼は「俺、ちょいと船酔いみたい」と言って抜け、それがきっかけでゲームは終わった。

 茶封筒にはお小遣いが入っていた。「これで遊びなさい」という意図だろうがとんでもない。私が慌てて渡さんを訪ねたら、小林専務が「それは渡のほんの気持ち。舘にも“勝つんじゃないぞ”とくぎを刺していたよ。彼のシャレだよ、シャレ~」と豪快に笑い、取り合ってくれない。

 私は仲川さんともらった小遣いの使い道を相談した。帰りに千歳空港近くの鮮魚店によって毛ガニ、イクラ、ウニ、タコなどを2人で持てるだけ買い込むと自分の会社と石原プロのお土産にしたのだ。まだ宅配便はない時代、死ぬほど重かった。 (中野信行)

 ■渡哲也(わたり・てつや) 1941年12月28日生まれ、兵庫県出身。青山学院大経済学部卒後、64年に日活入社。翌65年に「あばれ騎士道」でデビュー。71年、石原プロに入社。76~79年は日本テレビ系「大都会」、79~84年はテレビ朝日系「西部警察」に主演。2005年に紫綬褒章受章、13年に旭日小綬章受章。8月10日、肺炎のため死去。78歳。

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